歴史

創成期 昭和33年


岐阜県にもゴルフ場が一つ欲しい

県内ゴルファーの切実な願いでもあり永年の夢であった。昭和33年の春、用地を物色している頃は、いつになったらゴルフ場が実現するやら、誠に心細い限りであったが、政財界をあげての力強いバックアップで意外に早く私達のコースが誕生した。

用地の選定

3月31日
金華山麓など岐阜市近郊で2、3の候補地を検討していたが、蘇原町地内の権現山の山麓一帯(旧陸軍歩兵第68連隊の飛鳥実弾射撃場)を実地に踏査した結果、地形や立地条件がゴルフ場に最適であるとの結論に達したので、清水蘇原町長に用地買収の斡旋方を正式に申し入れた。
5月14日
用地買収の交渉は伊吹地区の反対もあって難航し、各地区の代表者との交渉は深夜に及ぶことも数回あったが、大日本土木(株)安田社長、岐阜いすゞ自動車(株)中嶋社長、和田県土木部長等の献身的な努力と地元の清水町長や横山農業会委員長、水野善吾さんの御協力とお骨折りにより45日目にして交渉は円満に妥結し、売買契約書に調印することが出来た。
5月24日 契約金の支払
地主代表者50名をバスで和合、東山、森林公園の各ゴルフ場の見学に案内し、帰岐後長良川ホテルに於いて代表者各位の労に感謝する会を催した。席上、土地売買の契約金として金500万円也を渡した。

第一回発起人会

5月30日
日の丸会館において武藤知事他14名が出席して発起人会を開催、代表に桑原善吉氏を選出して岐阜カンツリー倶楽部設立の準備を始めた。
発起人は次の方々であった。
松尾吾策、桑原善吉、土屋義雄、加藤庄六、小寺勝昌、宮寺敏雄、田口利八、山田丈夫、川島定市、永野喜美代、松岡茂、小川宗一、長谷虎治、矢橋祥雄、安田梅吉、渡辺甚吉、岩田治喜、長谷川亮三、加藤重雄、牧村養之助、加藤義孝、中嶋初夫、松久達三、馬渕政太郎   以上24名
6月6日
第二回の発起人会を開催して第一次会員募集要項を次の通り決定した。募集定員300名、個人会員20万円、法人会員(2名)50万円

会員募集

「昼はゴルフ 夜は鵜飼」というキャッチフレーズで会員募集を開始したが、第一次定員300名のところ、評判が良くて予想に反し、なんと911名の応募があった。関係者は定員の300名が果たして集るか心配していたのでうれしい誤算であった。役員会で協議した結果、県外の方のみ第一次の20万円、県内の方はすべて第二次の25万円で入会して貰うことにした。

岐阜カンツリー倶楽部の創立

7月2日、創立総会を開催して株式会社の定款を制定し、岐阜カンツリー倶楽部の会則を決定して、会社の代表取締役に桑原善吉氏、倶楽部の理事長に小寺勝昌氏、副理事長に田口利八氏を満場一致で選出した。これで倶楽部運営の骨格が出来上がり体制が整った。
ついで7月21日設立登記手続きが完了した。

起工式

11月12日、関西の第一人者であったコース設計者上田治先生のレイアウトも出来上がり、現在の2番ホールグリーン附近でコース建設工事の起工式が厳粛に挙行された。秋晴れの良き日に役員、地主、工事関係者多数が出席して工事の無事完成を祈った。総工費は1億6千万円、施工大日本土木(株)。
桑原社長の鍬入れで本格的な建設工事が開始された。

●10月18日 名古屋空港が開港
●12月 1日 1万円札が発行


創成期 昭和34年


地鎮祭

3月18日
総工費5,500万円で大日本土木(株)と請負契約を締結し、クラブハウス地鎮祭を挙行した。
設計は大阪の安井建築設計事務所。

キャディさんの募集

4月中旬、町役場の2階を借りて地元の新卒者(中学)を主として面接試験を行って15名の採用を決定した。年令25才以下で独身女性に限る。教育期間中の日給は150円支給という条件であった。

伊勢湾台風

コースとクラブハウスの建設工事は着工以来順調に進んでいたが、完成間近の9月26日夜半、突如として中部地方を襲った伊勢湾台風が猛威をふるった。台風は潮岬へ上陸した後、三重県、名古屋西部、岐阜県を縦断して北上するという最悪のコースのうえに、伊勢湾の満潮時と重なったため、死者、行方不明5,000人、被害総額も5,000億円を上回る大災害となった。
コースの芝は泥水で流され、バンカーは土砂で埋まり、法面の崩壊箇所は数知れず、又大きな樹木はほとんど倒れて、全く手の付けようもない程台風の爪あとはひどく、コースは無残な姿になってしまった。また、地元蘇原町では全半壊家屋80数戸、死者が4名も出るなど未曽有の被害をうけた。 10月9日挙行予定の開場記念行事はすべて自粛して延期し、蘇原町へ見舞金30万円を贈った。

仮オープン

10月22日
伊勢湾台風の被害をうけたコースの復旧に全力をあげ毎日100名余の作業員を動員して日夜の突貫工事で作業を進め、思ったより早い10月22日待望の仮オープンにこぎつけることが出来た。午前9時より竣工式の神事をおごそかに挙行し、続いて会員の記念競技が3日間に亘って盛大に開催された。会員の参加は301名。用地買収交渉から1年半の長い苦労の末、やっと迎えた本当にうれしいオープンであった。

●4月10日 皇太子殿下と正田美智子さんご成婚


岐阜カンツリー倶楽部の誕生


会報「ぎふ」の発刊

1月15日、フェローシップ委員会が編集を担当して倶楽部の会報「ぎふ」の第一号「仮開場記念号」を発刊した。桑原社長、小寺理事長の挨拶、安田、中嶋、永野の各委員長の抱負や競技成績、ハンディキャップリスト等を掲載し、会員の機関紙として相互の親睦をはかるために役立った。
つづいて4月に陽春号、5月に創刊号を発刊し昭和38年9月に14号まで発刊したが、中部ゴルフ懇談会が結成されクラブの合同会報"CGA"が発刊されたので中止した。

開場式

4月17日、雲一つない快晴の日、伊勢湾台風の傷あともすっかり復旧されたコースに高松宮同妃両殿下をお迎えして盛大に本開場の式典をあげた。
開場式には大野自民党副総裁をはじめ政財界の名士、ゴルフ界からは佐々部名古屋ゴルフ倶楽部理事長他、旧関西ゴルフ連盟加盟クラブの理事長、支配人多数が出席された。
午前11時、高松宮殿下の始球式、妃殿下のテープカットによって輝かしい歴史の一頁が飾られた。
つづいて招待の役員、支配人100余名が参加して開場記念競技が行われた。
9月1日には旧関西ゴルフ連盟へ加盟が承認され正式にゴルフ界の仲間入りをすることとなった。
諸料金:
メンバーフィー 200円
利用税 200円、厚生費 10円
ビジターフィー 平日 1,700円
キャディーフィー(A級) 180円
カレーライス(コーヒー付) 150円
年会費 10,000円

●9月10日 カラーテレビの本放送始まる。


平成18年

7月1日
リニューアルオープン。現在に至る